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国語はできるけど現実の人間の感情は読めない

似たような方いますか?

ここで言うのは主にフィクションの読解は問題なくできるのに、人間の感情が読めないタイプの人です。

(ADHD/ASDであるかどうかは問いません!)


理数系の方が結構フィーチャーされることが多く、国語(現代文のフィクション)に焦点が当たっている話題がなかなかないので、フィクション読解は得意だけど現実の人間の感情を読むのが苦手、という方はどのくらいいるかな?と気になりました。


ちなみに私がフィクションの読解ができるのは、小説は登場人物の気持ちの手がかりがすべて言葉で書かれているので、眉をひそめる≒よく思っていない、唇を尖らせた≒不満 などの一般的解釈が容易だからです。実を言えば私はこれらを実感に基づいた行動をイメージして解釈している訳ではなく、外国語のように意味を当てはめることで理解しています。

一方現実の人間は、

「上司は眉をひそめた。なぜなら求めていた回答はそれではなかったからだ。彼女はチームビルディングのために、ぜひとも飲み会の企画を申し出てほしいと思っていた」

という解説が表示されないので、分からないのです。

(もし上記のように現実にも本文が表示されたらどんなに楽かなと思います。)


なので個人的にはリモートでテキストベースのコミュニケーションが楽です(笑)

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コメント

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私も同じです。似たような方いらっしゃるんですね。国語はすごい得意で、活字を読むのも早いと思います。現実の人間相手だと一気に理解が難しくなります。。。

ありがとうございます!

似たような方いらっしゃるんですね。よく論説文は読めるけど自然言語特有のダブルミーニングやアンビュギアスな表現が苦手、という方は見るのですが、そういった曖昧な表現が頻出するフィクション含めた国語は得意だけど……という人はあんまり見なかったので嬉しいです。

そうなんですよね。論説文でも、物語でも、字面だと割と書き手の意図通りに解釈できるんですよね。それが音声とか表情だと難しくなるんです💦

(編集済み)

ありがとうございます!!


そうなんですよね〜。私はノンバーバルなコミュニケーションが苦手なのかもしれないです。

視覚優位でなく言語優位ということ?なのでしょうか。原作を知らない映画を観た時も登場人物の感情が読み取りづらい、ということもありえそうな気がしました。

https://www.cogtem.com/aboutcog/ninchitokusei/


ちなみに私は昔から言語優位だと言われていますが、言葉で行動が書いてあっても感情や考えと結びつけることはできません

(現代文のフィクションもヒトの感情もあまり分からない・理数科目が得意というわけでもない→論説文と外国語と暗記ゲーだけでテストの点を稼ぐ子どもでした)

(編集済み)

コメントありがとうございます!

WAISだと言語IQのが確かに高かったです(逆に言語以外、処理速度が低かったです)

映画はハリウッドはそこまで感じませんがアート系だったりヨーロッパ映画などの繊細なものは、確かに読み取りにくいなと感じます。

映画に出てきた描写などにもあまり気づきません。


ご自分の体験の共有感謝です。

論説文が得意でフィクションが苦手、という方がいらっしゃるのは聞いていたのですが、やはり実際におられるんですね。私はフィクションのキャラクターの行動を自分に置き換えて考えるのではなく、パターン的に行動と感情を結びつけて覚えて読んでるだけなので、感情が分かるとも言い難いのですが……論説文とフィクションでは使う回路が違うということなのでしょうか。興味深いです。

書き言葉の読み取りと対面でのコミュニケーション能力はまったく別のスキルだと思います。


書き言葉は論理学(数理論理でも)などで表すことができる、どちらかというとロジックの世界ですが、対面コミュニケーションはロジックではなくカオスの世界です。


私も書き言葉を読み取るのは昔から得意でしたが、対面で相手の気持ちをよみとるのはひたすら不得意だったため、職業にしてしまってひたすらに実践を積み重ねて今では克服することができました。


ただ、自分が擬態している感は否めないですね。

コメントありがとうございます!

そうですよね。対面でのコミュニケーションはノンバーバルな情報の比率が高いと思っていて、読み取るのも苦手かつ、相手に変な信号を送ってしまう自分としては対面が苦手です。


はい、言語は、論説文などはかなりロジックの分野かと思います。反対にフィクションはダブルミーニングや言葉の曖昧さを楽しむ部分もあるのかなと思っています。(と言っても、はっきり論理的に導きうる、可能性のある解釈と妄想は分けられるとは思います。)


実践を積み重ねて克服されたのは本当にすごいです!!

擬態してる感ですか……もしニューロダイバーシティに属する方でしたら、やっぱり動いてるOSが相手と違うので自分の中では違和感が出てしまうというところでしょうか……!

現代文は超得意でしたが常に人の気持ちがわからないと非難されて生きてきました

は?お前より20文字以内で気持ちの機微を察することができるんだが?と思いましたね

最近は学習によりある程度高精度で推察できますがそれを考慮して自分の行動に反映するのはまだ苦手です

ありがとうございます!!

そうですよね……かなり共感します。

論文探してたら、フィクションを読むことは心の理論の発達に役立つ可能性があるようです。

なので投稿者さんがどういった方かは分かりませんが、それはもしかしたら人の気持ちの学習には役立っていたかもしれません……!


私も自分の行動に反映するのは苦手です。

「暑いね」と言われたら「暑いね」と返します(クーラーはつけない気がします)

なるほど、ではAIの発達で心の動きまで再現したフィクションの人間と会話できるようになったらもっと改善するかもですね

優しい、って相手の気持ちを汲み取ることですに(諸説あり)

(編集済み)

コメントありがとうございます!


優しいにもステップがあって、相手の気持ちを理解する→行動するという2つの段階をクリアすることが必要と考えています。


私はフィクションだと手がかりが書いてあるので読み取れるのですが、現実の人間だとまず読み取り部分で失敗します……。

「感情を読み取れない」=「感情の察知に鈍い」とされることが多いのかな?と思うのですが、自分は「感情の察知に過敏すぎる」タイプで、「この人こう思ってるのかも?いや、こっちかも?」といくつもの選択肢を考えてしまい、結果的に積極的なコミュニケーションが出来ません


同じような方はいるのでしょうか…

コメントありがとうございます!

私は昔から人の感情を読み取るのが苦手だったのですが、

その他の人は自然と最適解がわかる(はずだから君はおかしいみたいな話によくなりました)というものでもない、ということなのでしょうか?


表情や雰囲気を見てなんとか手がかりを得ようとする、というのはかなり後天的に感情を読み取ろうとしておられる様子に見えました。

私は逆にリアルのノンバーバルも重要とされるコミュニケーションのが得意です。


言語化される内容が相手の伝えたいことの全てではないし、程度の差はあれど客観性を意識はしていても完全に客観的に説明することは不可能だと思います。なので、ノンバーバルの情報もないと、具体的に読み取れなくて意図が汲み取りづらいです。

同じことを言っていても、その人のパーソナリティや表情、影響を受けた人物や出来事、根底にある思想や育った環境など様々な要素で、実際のニュアンスは変わってくると思っています。

それを読み解くのが難しいという話だと思いますが、言葉や自身の感性だけでなく相手という人間を知ることにフォーカスをすると、少しよみやすくなる感覚が個人的にはあります。後はデータを増やす。


国語や小説,発信される物語などは、このように伝えたい/このような話だという意図や前提を持って、様々な表現を使ってそれを表す情報が散りばめられていると思っているで、実際のコミュニケーションとは違い、クイズゲームみたいなイメージを持っていました。



(自分はリアルだと相手の求めている言葉ばかりをかけてしまい、自我の主張とのバランスのとり方が難しいですが。。)

(編集済み)

コメントありがとうございます!

ノンバーバルな情報がないと分かりにくいというお話される方は時々いらっしゃいますが、こんな風に感じて日々コミュニケーションされているんですね。参考になります。

定型発達よりも人間に関する興味が薄いのも影響しているかもしれませんね……興味は変えられないかもしれませんが、相手を知ろうとするようにしたいと思います!


確かに国語はクイズゲームだと思います。現実のコミュニケーションとは違いますよね。ただ時々フィクション含めた国語を読めるのになんで?という話を見るので、ちょっと気になってスレッドを建ててみました。


分かりすぎるというのも困るものなんですね……!

私は普通にノンバーバルな情報から「ふつうに」相手の感情が読み取れる人が子どもの時から羨ましかったのですが、別の視点にも気づけました。

私自身もadhdで、人に対する興味が極めて薄いです。学生時代に人に興味がない、相手に合わせたコミュニケーションが適切に取れていないことに危惧し、後天的につけたスキルです。(それによって苦労した経験もあるので。。)


今でも人に興味はない根本の部分は全く変わっていないのですが、会話をしているときは相手を知ろうとした方が楽しいし本質に近づきやすい、話を掘り下げやすいのでそうしています。非定型にとって、表面的な薄い会話は楽しくないと感じることが多い気がするので、会話をする際は相手にベクトルを向けて知ろうとした方が楽しいのかな?と思っております。


困ります。相手が欲している言葉と自分の本音が必ずしもマッチするわけではない、状況や関係性によって適切な内容は変わってくるので。ソレが普通に自然にできると、本音建前が当たり前の人間社会で、当たり前に人間関係がこなせるタイプになるのかな〜と感じています。

小説は細部のあら(テクノロジー描写が現実的ではないとか)が気になってしまい、リアルだと相貌失認で誰が誰だかわからないのでどちらも苦手マンです(・ω・`)

ありがとうございます!

細部のあらが気になるというのは、登場人物の気持ちを書いてみよ、とかここで述べられている出来事は何か要約せよ、みたいな問題が解けないということでしょうか?

細部のあらが気になることと小説読解ができないこと(すみませんそう理解しました)の結びつきが少し分からず、お伺いしました……!


相貌失認はめちゃめちゃ辛いですね……😭😭

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