幼少期からどんな違和感を感じて来られましたか?

幼い子供を持つ親です。

自分自身障がいを感じたことはないのですが、子供を育てる親の意識として、これまで障がいを抱えていらっしゃる方でどんな違和感を感じたのか、どんな出来事があったのか、可能な範囲で聞きたいと思い投稿をさせて頂きました。

子どもが3歳になるのですが、発話が少ないことからも保健センターの検診で指摘を受けました。

保健センターの方と会話をする中で、障がいとして見なされないが「グレーゾーン」とされるお子さんもいらっしゃるようで、そのようなお子さんをどう育てていくかがよく大きな課題になっていると伺いました。

よく親が気づかなかったりすることで見逃してしまう障がいもあると聞きました。

自分自身が我が子を育てていく上で、子ども自身が何か違和感を感じた時にできるだけ早く気づき、適切に関わったり療育などの支援を受けるために、どんな違和感を感じたのか知っておきたいと思っています。

(編集済み)
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コメント

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どういう意図で、どういう立場からの質問ですか?

コメントありがとうございます。

説明が足りず申し訳ありません。本文に文脈を追記致しました。

※前提として、私は軽い方です。


調べていただけるというのはとてもお子さんにとって心強いと思います!


大人になるまで箇条書きで上げると下記のような感じです。


小学校の頃:

・絵を描いたり本を読んでいて授業の開始に気づかない(過集中)

・図書館にばかり行っていて友達がいないことを先生に心配される

・忘れ物が多い。毎回教科書やプリントを忘れる。


中学校・高校の頃:

・ハイコンテキストな女子校文化に全く馴染めず、僅かな友達を除くクラス全員に無視される

・興味が限定されていて、普通の女の子が興味があるファッション・アイドル・ドラマなどに興味が持てない。合わせるという発想がありませんでした。

・物や言ったこと・レポートを忘れてしまう・図書館の返却期限をなかなか守れない


(蛇足ですが)親子関係などについて


そこそこ勉強ができたので、「勉強ができる変わった子」として、見逃された面もありました。また親が味方になり、常にサポートしてくれたのは大きかったです。

一方親は精神科について偏見があり、療育などを受けることはしませんでした。今考えると非常に育てにくく、かなり負担をかけてしまって申し訳なく思っています。孤立していた子どもとして味方が親しかいなかったので、歪な親子関係が形成されてしまったように思います。

また自己肯定感を養うコミュニティを複数作れず、勉強だけにすべてをかけていたので、大学で上手くいかなくなった時に、精神的に不安定になりました。このことがきっかけで親とも上手くいかなくなったので、早めの独立やコミュニティ作り、別の大人と接することは大事だなと今なら思うのですが、子どもだったのでそこまで考えが思い至りませんでした。


こんな感じです。

(編集済み)

上の方と近しい境遇の者です。


私自身は3歳半くらいまで発話なしで生きてきました!


ただ、あくまでも会話しない(面倒くさい…?)だけで、会話はほぼ理解できていていました。絵を描いて伝えてたりしてました。自分は特に焦りを感じず、親もそれを理解してわりと放置(ケ・セラ・セラなノリ)でした😌


結果的に視覚伝達の表現が得意で、文字伝達はまあまあ成長が遅かったです(勉強ができないわけではなかった)。いまは文字伝達の仕事で稼いでます。

・3歳ぐらいのとき(?)親戚の家で電気もつけないで1人階段の中腹にずっと座っていた

・幼稚園では教室に行かず砂場で1人で延々と泥団子を作っていた

・小学生のときは教科書をどれか必ず忘れるので全ての教科書をランドセルに入れて通っていた


ただ、勉強はできました。常に2,3年上の教科書で勉強していました。4年生の中頃から中学受験の塾に入りましたが、1年ほどでその塾の一番になりました。


今はそんな自分を大学あたりから矯正していき、ほぼ一般人かむしろコミュ力ありの人と思われるくらいに擬態できるようになりました。


なんだかんだで、普通に働けています。

同じ感じでした

・多動症

・吃音

・過集中

・低協調性

・秀才


大学までを振り返ると自分でも「メンドいヤツ」と思いますが、世に言う「社会に育てられた」で、会社員になって社会人の自覚が発現してから(入職1年後くらいに)治りましたよ


今でも「変わってる」ってムスメにすら言われますが、

「何を言うて。オレほど『普通が服着た人間』は おらんぜ」って笑ってます

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