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修士での辛い体験

修士の時に体験したこと。


自分で研究テーマを決められなくて、教授の言いなりになってしまって研究テーマを決めてしまった。

進捗が出ていないのが辛かったので思いつきで実験の手法を提案した。なぜかその提案はその教授にはウケが良くてその実験手法でしばらく研究を続けることになった。

やっていくうちに、その実験の意義が全くわからなくなった。自分でその手法で実験やるモチベーションが全くわかず、対外的な発表で質問されるのがすごく嫌になった。研究を続ければ続けるほど、「それまでにこの実験に費やした労力と時間」と「やめたいという気持ち」との板挟みになった。その手法をやめることを何度も検討したが「でも最初に言い出したのは自分でしょ」と思いどんどん後に引けなくなっていった。

結局その手法での実験を1年以上続け、resultをまとめた。ほとんど教授に添削されながらもconclusionを書いた。結果、教授が希望していた論文誌にはrejectされ、かなりマイナーな論文誌に投稿し、なんとか掲載されることになった。


ただ私はいまだにその研究の意義を、実際にやった立場としても、全く理解できない。

私はその教授のパーソナリティはとても好きだった。(私が研究をほったらかして就活していたのに対しても全く何も言わなかった。内定先を聞かれたので恐る恐る答えると喜んでくれた。)

とても頭が良い人だった。専門は数学ではないが非常に数学が得意な人で、趣味で数学の問題を解いたり、高齢なのに競技プログラミングをやっているような人だった。他の研究実績(google scholar を見ると2万件ほど被引用数がある)はすごい人だ。それなのになぜあれほどにまで私が全く気乗りしていなかった、私から見れば筋が悪い手法の研究を、わざわざ実験の費用を出してくれたり、論文を投稿してくれたりしていたのかわからなかった。


かなり、罪悪感がある。もう少し考えて研究をすれば良かった。

(編集済み)
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コメント一覧

それも含めて、教育というものだったのではないでしょうか。そこを理解して教育なされたのは、本当に素晴らしく感じました。

教育、個々の成長への影響、これらは短期的なものではないというお考えがあったのではないのかなと思いながら、読ませていただきました。

投稿者

コメントありがとうございます。

確かに色々悩むことを含めてやらせたかったのかもしれないですね。そう言っていただけると救われます。

学生での体験、ふとした時に蘇ってきますよね。

研究への高い意識と能力を持ちながら意義についても悩まれたり、修士の時に実験を就活しながらし続けたという経験凄すぎるな⋯⋯と思いました。

研究に真面目に取り組んでいたこそ、自分の人生をその時に一生懸命投じていたからこその悩みだよなと思って勝手に共感しました。


ただ大変申し訳ないんですが、一番先に、指導してくれるなんて、そして就活にやさしいなんて、なんて良い教授なんだ⋯⋯という感想が出てきてしまいました。

(もろもろの事情は省きますが私は修士退学しました。)

投稿者

コメントありがとうございます。そう言って頂けると私も救われます。


あなた様は修士を退学されたご経験があるとのことですが、退学するという決断をすることも、大事な経験かもしれませんね。

私の教授は放浪癖あるのにマイクロマネジメントで生徒を操ろうとするサイコパス、そのくせ研究費は国際会議の交通費すら出してくれないケチだったので、投稿者さんはかなり恵まれていると思います笑

修士の研究はその過程に意味があるのであって、テーマは何でも良い(というより良いテーマを考えるだけの素地や素材がない)と思っています。

先生も近い認識をされておられて、研究の一連を経験してもらうことに重きを置いたんじゃないですかね。悶々としていたとしても、得られたことはきっと多いはず。


恐らく投稿者さんは完璧主義な一面もあるのかなと思います。もし後悔があるならD進という手もありますよ!

修士課程かくあるべし、という教授の態度に見えました。教育機関ではなく研究機関ですからね。罪悪感があるならここからご本人にでも社会にでも、還元していくことで返せばいいのではないでしょうか。

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