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ADHD/ASDの診断を受けたきっかけ

皆さんが診断を受けたきっかけは何だったのでしょうか?

自分も若干そうかも?と思いつつも、保険などのデメリットを考えると診断受けるの躊躇します。

大抵子どもの頃に診断されるものである、また、デメリットを考えて躊躇する程度ならそもそも違うのではないか、仮にそうだとしても軽くて気にするほどではないのではないかとも思います。

でも薬飲んで少しでも過ごしやすくなるなら診断受けてみたいとも思います。


詳しくは知らないのですがいとこは診断済みなようで、母親含めそっちの血筋はみんな落ち着きないように思うので遺伝してる気もしてます。

妻にこういう話をすると診断受けてないのに言い訳のように話すなと怒られ、世間でも言われてるようにそれはその通りなのですが、最近子どもが他の子と比べて落ち着きがないのを妻が感じ始め、やっぱそうなのかもしれないねと言うようになってきました。


皆さんどれくらい日常生活に影響が出てるのでしょうか?

また、何がきっかけだったのでしょうか?(子どもの頃に診断されていたり大人になって存在知ってすぐとか?なのでしょうか?)

デメリットとはどのように付き合っているのでしょうか?(メリットが上回っている?)


ついでに皆さんが診断済みなのか自分が思ってるだけなのかも教えて欲しいです。

不快に思われる方がいたらすみません。

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コメント一覧

私はテストを受けてグレーゾーンと出たので、自分ではそうだと思ってるしほぼ確定だが、あえて診断は取ってません。


日常に影響は出ますが、グレーなので、仕組みと金で乗り切ってます。努力はせずに仕組みと金で解決、と割り切るところが重要です。

仕事がうまくいかず適応障害になった時に製薬会社のサイトにセルフチェックシートがあるのを見つけて、割と当てはまったのがきっかけだったと思います。

薬も使っていますが、環境(特に均一性や謎の慣習を求めるJTCからの脱出)のほうが効いていると感じます。

ここでよく言われる住宅ローン問題は現金一括で買えるだけの金融資産を貯めることで回避しようと思います。

診断は受けてませんが、ほぼ確実にASDのものです。


私は思春期がトリガーだったのでしょうか、中学3年から高校にかけて突然コミュニケーションで難を感じ始めたのが始まりでした。


中学の頃までは活発でクラスの中心にいるような人間だったこともあり、大学ではコミュニケーションできるだろうと楽観視してサークルに入りましたが、結果的には全く馴染めず一年たたずにやめて、むしろ精神的に安定したことを覚えています。


次の困難は研究室への配属でした。先輩や指導教員に教えを受ける際にうまく話せず、人間関係を築けず、落第ギリギリのところまで行きました。


やっぱり何かおかしいと思い、本で勉強したりWISE-Ⅳを受けたりして、自分に発達障害の傾向があることを知りました。大学内の保険証を用いない精神科にかかったり、コミュニケーションをサポートしてくれる学内の仕組みでカウンセリングを受ける中で、自分を理解することに努めました。


当然次は就職が待ち構えており、このままではまともに働けないのではと悩み、出した結論は人間と会話する量を最小限にすればいいのではということでした。まずはプログラムを書くことを学びました。結果としてはこの行動が身を結び、今まで10年ほど、社会でなんとか擬態しながら生きています。


私は、私の特性を愛しており、困ることもありますけど、過集中により大きなコード変更を正しく仕上げられた時や、トラブルシューティングの場面では多動を発揮してさまざまなツールや人にコンタクトをとり問題解決できたりする時、このような特性に産んでくれた両親に感謝しています。デメリットばかりではないと思っています。

なんだかすごく、ジーンときました

美談みたいに書いてすみません。元も子もない話ですが、こう思えるようになったのはお金を稼げるようになってからで、お金がすべてを解決すると思います

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