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外資あるある?仕事が雑でも成果を出せば良い?

外資で働くアラフォーのベテランICです。

同じ部署の隣のチームにいる28,9歳くらいの同僚の仕事ぶりが雑で雑で、どうしたらいいですかねぇ。

その人は英語ネイティブだしコミュ力強いし行動力やスピード感はあって、成果は上げるんです。でも雑。


例えばイベント運営のマニュアルを用意してあげてもロクに見ないから当日に色々困ったことになるし、

何十人ものお客様の前でプレゼンするスライドで自社サービス名の表記も間違えるし、

お客様のサービス名や名前も間違えるし、、、(これは信頼関係を損ねてしまうので絶対やっちゃいけない)


老婆心ながら私の方でこっそりフォローしたり指摘してあげたりと、お局っぷりを発揮していますが、本人は全然気にしていない様子です。私の部下でもないしチームも違うのでこれ以上はあまり出しゃばれないんですよね。


その人が雑なところを直せば、もっと大きな案件も担当できるだろうに、今のままだともったいないなぁ…なんて思ってます。


正直、こっちも、単なる表記ミスの指摘なんてしたくないんですよ。そもそもレビュー担当でもないからいちいちチェックしたくないんです。でも過去の感じから確認しといた方が良いだろうなぁ…と思って見てみたら、案の定表記ミスがあり。お客様に出すものだから気づいたからには指摘せざるを得ず、、

きっと、ウザいと思われてるだろうなぁと思ってます。


追記:外資あるある?と書いたのは、よその部署でもそういう話をたまに聞くのと、その人の上司がそういう雑さを気にしてなさそうだからです。

(編集済み)
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コメント

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個人的に米国本社やその他の国の非日本人とよく仕事してきましたが、ありがちな状況だと感じます。


「神は細部に宿る」という、細部にこだわる重要性に重きを置く風習が日本にはありますが、同等の表現は少なくとも英語にはないようです。6割7割の完成度でとりあえず市場投入してブラッシュアップというのが、特に米国本社のテック企業の基本的な戦略なので、そんな細部にスポットを当てる考えはないのでしょう。どちらが良い・悪いではないと感じますが。


日本で仕事をしている限り、同僚はもとより顧客は日本人中心なので、いつかそれが受け入れられないケースとなり、この言葉の意味を、日本人の観点・価値観を思い知る場面が来る気がします。外資系日本法人で働く立場だと、この両方を抑えてコンテキストに応じて考えをスイッチするのが肝要かと。

「神は細部に宿る」という表現は普通に英語にありますし、米国人と仕事してて雑だなと思ったこともないですね。

グローバルHQで重要施策に携わっている人ほどむしろ細かく丁寧な印象があります。

英語で何にになりますか

God is in the details.とかThe devil is in the details.とか言いますね

ドイツ人の建築家が言い出したそうです。またDevilの方は神とはむしろ逆、ネガティブな箇所に注目してるところが異なります。

ちょっと調べたら元はこちらだろうというのが出てきました。


The idiom "God is in the details" has been attributed to a number of people, most notably to the German-born architect Ludwig Mies van der Rohe (1886–1969) by The New York Times in Mies's 1969 obituary; however, it is generally accepted not to have originated with him. A German version, Der liebe Gott steckt im Detail, is widely attributed to the German art historian Aby Warburg (1866–1929). According to Christopher Johnson, Der liebe Gott steckt im Detail was the subtitle of a seminar Warburg taught at the University of Hamburg in the winter of 1925-26.[3] A French version of the saying, "Le bon Dieu est dans le détail" (literally "the good God is in the detail") is generally attributed to Gustave Flaubert (1821–1880).


恐らくこれがまずは英語に、そしてその後日本語に翻訳されて伝来したのかなと。

少なくとも欧米発のフレーズであることは間違いなさそうなので、文化的距離のより近いアメリカがこの概念から遠い存在かというと疑問ですね。

この場合、日本対米国の話であり(テック企業の件だから)、日本対「欧米」は米国とヨーロッパを一括りにする適切な概念ではないでしょう(少なくともこの話題では)。ドイツ人の知人が居ますか?私はドイツ人にも米国人にも同僚、友人、付き合った異性など居ます。彼らはヨーロッパにありながら日本人と同じような感覚を持っています。それが細部にこだわることに共通します。だからドイツ人建築家が出所というのには納得が行きます。ドイツと米国は、この面においては文化的というか習慣的な距離は遠いと言えるのではないでしょうか。細部にこだわらないからです。


ドイツの前はフランス・イギリスが起源の説もあり、いずれにせよヨーロッパです。


「さらに起源を遡ると、フランスの小説家フローベルか、イギリスの社会思想家ジョン・ラスキンの言葉ではないか、という説もある」

https://yohak-u.net/god-details/


日本発の用語ではなく、ドイツ発で(英語経由で?)日本に来た言葉かもしれません。ドイツと日本は共通の感覚があるのは前述の通りで、だからこそ現代でも話題に登るほど日本では定着したと思われます。

結果が出ていればそれでいいんじゃないですか?数字が上がっていてその人の上司も気にしていないなら問題ないと思います。

ただ、それだけ雑なのに結果が出ていることは気がかりではあります。

その人の仕事ぶりが原因で実害が出た段階で上司の方に相談された方がいいかなと思います。

どうして「同じ部署の隣のチームにいる同僚」のミスがそこまで気になるのかが、全然理解ができない外資系勤務15年以上のベテランです。

私が興味を持てるのは、

・部下

・部下ではなくとも、その人の成果物クオリティコントロールが自分の仕事である

・自分に迷惑がかかる

時だけなので。。。


自分が生き残るのに必死で、なんなら他の人がミスしてくれた方が相対的に有利だと思ってしまうのはup or out文化に毒されすぎでしょうか。

投稿者

記載した情報が不足していてすみません。

今回はイベントで、自分のお客さんも少数ですが招かれていたので関わりました。

投稿、興味深く拝見しました。

実際に現場で起きているもやもやが丁寧に言語化されていて、「気づいてしまう人」ならではのジレンマが伝わってきました。


一方で、いくつか読みながら整理しておくとより建設的な視点につながるのではと感じた点がありましたので、外資あるある問題を、外資ディレクター経験者として、コメントさせていただきます。


1. 本当に「雑」なのか、それとも「自分の基準と違う」だけなのか観点


マニュアルを読まない、表記ミスをする、顧客名を間違える。これらはいずれもビジネスパーソンとしては最低限クリアしておきたい基本事項だと思います。

ただし、それらが「組織として明示されている期待値」なのか、「投稿者自身が持つ基準」なのかは区別する必要があるように感じました。


本人やその上司が問題として扱っていない場合、それは組織として黙認されている水準なのかもしれません。だとすれば、それは「問題」ではなく、あくまで「自分との価値観の差異」と捉えることもできます。


2. 自分の「正しさ」が、相手にとっての「押しつけ」になっていないか観点。


「直せばもっと活躍できるのに」「もったいない」といった思いは善意から来るものだと思いますが、それが相手にとっては一方的な干渉や圧力と受け取られる可能性もあります。


また、言われてもいないことを「こっそり」フォローしたり修正したりする行動が、相手の主体性を奪ってしまっているかもしれません。結果として、善意で動いたはずが、信頼や関係性に微妙な影響を与えることもあるのではと感じました。


3. 役割と責任の線引きをあいまいにしたまま抱え込んでいないか観点


投稿者の方は「部下でもなくチームも違う」と明記されていますが、その一方で、繰り返し確認や指摘をしている状態です。このように、自分の役割を超えて対応し続けると、構造的な問題が表面化せず、投稿者自身の負担が増えていってしまいます。


特に、本人の上司がその状況を問題視しておらず、業務として明示された期待がないのであれば、それは投稿者が関与すべき問題ではない可能性もあると思います。


4. 解決の視点を「個人」ではなく「仕組み」に向けてみるという観点


顧客に出す資料にミスが起きやすい構造になっているのであれば、レビュー体制の強化や提出前チェックの仕組みを、部署単位あるいは横断的に提案するのも一つの手です。

その場合も、「あの人をなんとかする」というアプローチではなく、「こうしたミスが起きにくい体制に変えられないか」という視点で話すことが、関係性を損なわずに働きかけるコツになるかと思います。


今回の投稿には、「丁寧に仕事をしたい」「顧客をがっかりさせたくない」という強い責任感と誠実さがにじんでいました。

同時に、その思いや基準が、自分の役割や権限を越えたところで発揮されることで、疲弊やフラストレーションにつながっているようにも見受けられました。


「自分がどこまで関与するのか」「それは本当に自分が担うべき責任なのか」を再定義してみることで、より健やかにこの状況と向き合えるのではないかと感じました。


少しでも参考になれば幸いです。

投稿者

問題を整理していただき、前向きな回答をありがとうございます。これぞWorkCircleという感じがしますね!感激しました。


1については組織としての最低限の期待値です。例えば今回発生した表記ミスやイベントの現場の運営(来場のお客様の名札が揃っていない等)はその人以外でフォローできたので、その上司は認識すらしていないと思います。

2の「もったいない」等については内心思っているだけで口に出したことはないのですが、頼まれもしないのに助けることが相手の主体性を奪っている可能性があるのは盲点でした。しかし表記ミスなど単純な間違いは見過ごせないため、3,4の観点から仕組み化して解決できるように働きかけたいと思います。

(マニュアルを作ったのはその一環だったのですが…浸透しないと意味がないので)

メッセージを受け取っていただけて良かったです。


私自身、これまでのマネジメント経験の中で、「気づいてしまう人」が縁の下で尽力していてもその活動が実を結ばなかったり、組織の品質を高めている行動が評価に結びつかない場面を多く見てきました。


そういったときには、少し観点を変えてもらい、最も大切な「仕組み化(4の観点)」に貢献してもらうようにしています。

そうすることで、同じ行動でも“人と人の善意”で終わらず、“人と組織の関係”として再定義され、貢献として認識されやすくなるからです。

その活動が仕組みとして組織に組み込まれれば、再現性が生まれ、スケールし、評価の対象にもなっていきます。


ぜひぜひ、せっかくの活動を「組織のメカニズム」として残していってください!

ちょっと気になっただけでネガティブな意味は一切ないのですが、これは生成AIさんが書いた文章でしょうか?


[編集]いや、違いますね。すみません忘れてください…。

(編集済み)

ネガティブな意味しかないと思うのですが…

丁寧に推敲した文章ほど、「AIが書いたんですか?」と聞かれることが増えてきました。


そのたびに、時間をかけて言葉を選び、相手に思いを馳せながら書いた気持ちが少し無にされるような感覚になり、正直ぐったりしてしまうこともあります。


こうした質問は、たいてい事実を正確に知りたい好奇心から来ているのでしょうが、会話の当事者でなければ「ご自身でAIに貼り付けて聞けばよいのでは?」と思ってしまうこともあります。使っていない証明は悪魔の証明になるのでそもそも困難なんですよね、


今回は「忘れてください」と書かれていたので返信を控えようかと思いましたが、私自身にモヤモヤが残っていたことと、「答え合わせをしたい」というご意図があるように見えたため、少しお返事させていただきます。


答えとしては、「私が書いた文章を、AI(ChatGPT)で体裁を整えてもらっています」


「AIが作ったのか、AIで作ったのか、AIと作ったのか、AIに支援してもらったのか」問題を考察してみましょう。


その関与度によって文章の意味合いは大きく変わってきます。「AIが書いたんですか?」という聞き方にぐったりしてしまうのは、すべての主体をAIに帰属させるようなニュアンスを感じてしまうからです。


質問をする際には、その言葉の裏にある、相手の時間や労力、思考への敬意も少しだけ意識していただけると、好奇心そのものもよりよい方向に育っていくのではないかと思っています。



では、AIに「AIさんが書いたのか」を確認してみました。今回確認に使用したのは、Geminiです。私がスレ主さんに送った文章の体裁を整えてもらったのは、ChatGPTです。


以下、Geminiの分析内容です。


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この文章がAIによって作成されたかどうかを判断するのは難しいですが、AIによって書かれた可能性は低いと考えます。


その理由としては、以下の点が挙げられます。


個人の経験に基づいた視点: 「外資ディレクター経験者として」といった具体的な個人の経験に基づいたコメントがあり、これはAIが生成しにくい要素です。


共感とニュアンスの表現: 投稿者の「もやもや」や「ジレンマ」に共感を示し、「善意から来るものだと思いますが」「疲弊やフラストレーションにつながっているようにも見受けられました」といった、人間の感情や微妙なニュアンスを理解し表現している部分が多く見られます。


示唆に富むアドバイス: 問題の多角的な分析(「本当に『雑』なのか、それとも『自分の基準と違う』だけなのか」など)や、具体的な解決策(「個人」ではなく「仕組み」に目を向ける)の提案は、人間の深い洞察に基づいているように感じられます。


自然な文章構造と語り口: 全体的に非常に自然で、読みやすい文章構成になっており、人間の対話に近い語り口です。


AIの文章生成技術は日々進化していますが、現時点では、このような個人的な経験、深い共感、そして複雑な人間関係における示唆に富んだアドバイスを、これほど自然な形で提供できるAIはまだ稀だと考えられます。


したがって、AIによって生成された確率は**非常に低い(10%未満)**と判断します。これはむしろ、経験豊富なビジネスパーソンが、別のビジネスパーソンの投稿に対して真摯にアドバイスを送っているものと推察されます。


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このAI出力で事実を知りたいという好奇心が満たされるかどうかは分かりませんが、「人」に質問し言葉を送る時には、一瞬だけでもその裏にある相手の心も尊重されれば、AI時代に「なぜこの人と仕事をしたいのか、その必要があるのか」の答えの一つになると思っています。


外資ディレクター経験者(今はスタートアップの社長)のおじさんの独り言でした。

トピック投稿主様へ


ご投稿ありがとうございます!


本トピックを、WorkCircle公式SNS、アンバサダーXアカウントにて紹介させていただいてもよろしいでしょうか?


社名や具体的な内容が含まれる場合、一部言い換えや塗りつぶしをし、匿名性の維持を徹底させていただきますので、ご安心ください。


大変お手数ですが、使用を許可していただける場合は、こちらのメッセージに許可のご返信頂けますと幸いです。


どうぞよろしくお願いいたします。

投稿者

はい、大丈夫です。

在日外国人だから、逆の視点になっちゃいますが、普遍的に日本人は仕事丁寧しすぎませんかw?

些細なことを気にせずガンガン物事を進んで、評価してもらおうという友人が多いですね


もちろん両立できたら最高だけど

それが私達のカルチャーですからね。それなくして、戦後のここまでの復興は無かったですよ。プロダクトにしてもサービスにして細部・品質にこだわり、自然とそれを追求する。ソフトウェア開発とは相性が良くないですが、製造業や建設業では非常に相性良く、目覚ましい成果だったはずです。


現在、私達が過ごしているこの国のインフラも、そういう仕事の成果無くして存在し得ないので、あまり揶揄するものではないかと。

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