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タイパ重視で専門家やオタクになれるのか?

最近、「◯◯オタクになりたい」「IT技術を身につけて語れるようになりたい」といった、専門性へのショートカット志向をよく見かける気がします。背景には、Z世代を中心に広がるタイパ重視の傾向があると感じます。


プレイリストで音楽を履修し、要約動画で映画を理解し、ChatGPTで用語を調べてエンジニア「風」の発言をする。一見、効率的で合理的。でも、本当にそれで「専門家」や「オタク」と呼ばれる水準に到達できるのでしょうか?


その道を何年も歩んできた人との対話の中で得た文脈理解、言葉の重みといった深みの違いは、どうしてもにじみ出ます。専門性とは知識・試行錯誤の蓄積、継続的な関与、他者からの信頼といった、帰納的・不可逆的な積み重ねによってしか成立しないものです。タイパを意識すること自体は悪ではありませんが、過程を飛ばして結果だけ得ようとする姿勢が、そもそも専門性に対して「純粋に矛盾」すると感じてしまいます。


あなたは、何かを“タイパ良く習得して語れるようになりたい”と思った経験がありますか?・・(!)

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コメント

コメント一覧

語学習得や資格試験とかは目的地への中途経路なのでダイパよく潜り抜けたい気持ちはあります。


本業持ちつつ映画配給向けのコンサルティングなどを行う複業をしていますが、単にインプットするだけでは構造化やインサイト発掘などのレベルには到達できないと思うので、インプットは必要条件 but not 十分条件だなと感じてます。

投稿者

語学や資格試験=中途経路であり、タイパを意識する対象という視点、とても納得感あります。確かに、目的到達の通過点としての習得においては、効率性は現実的な重要要素ですね。


一方で、インプットは必要条件だが十分条件ではないという言葉に深く共感します。表層的な履修や情報取得では、構造化・再構成・示唆を生み出す力には届かない。ここで差が出るのが、まさに本物の専門性なのだと改めて思いました。

語学やちょっとしたスキルはタイパよく修得したいですし、そのノウハウもある程度は確立されているのかなとは思います。ただタイパできるかどうかはジャンルによりますが、タイパ重視で修得した気になってアウトプットするとうんちくおじさんになっちゃうんじゃないでしょうかねw 私も矛盾すると思いますし、そもそも専門家や特にオタクってタイパ度外視で熱中できる情熱がある人達なのではと思います。

ただそもそもこんな考え方自体がZ世代からしたら時代遅れの老害に聞こえるかもですねw

たぶん私世代(八十年代生まれ)とZ世代の認識する専門家やオタクの定義や実例がそもそも一致しなくなってくるって大まかな傾向はあるかもしれないなとは思いました。

賛否両論あるものの1万時間の法則とかありましたが、確かにそれなりに専門性を深めるには(一部の天才を除き)時間と労力はいるよなー、と思います。

投稿者

語学や資格のようなある程度定型化されたスキルは、タイパよく進めたいという気持ちになりますし、それに応えるノウハウも確かに存在してますよね。でもそこから一歩出て、語れるようになったから専門家だとするのは、まさに「うんちくおじさん」現象に繋がるのかもしれません 笑


> 「専門家やオタクって、タイパ度外視で熱中できる情熱がある人達」

→ この一文、完全に同意です。

最終的には、好きでやってたら詳しくなってたくらいの没頭感が、専門性の根っこにある気がします。


「Z世代から見たら老害に聞こえるかも」も含めて、そもそも専門家やオタクという語の定義自体が世代を超えて揺れているのでは?という指摘も重要ですね。履修量 × SNS表現力でラベリング可能な時代に、何をもって通とされるのか。むしろ演じる能力自体が、新しい専門性なのかもしれないという気もしてきました。

同感です。タイパと言って、他人やAIがキュレーションするまで待つ姿勢には情熱はないですよね

ちょっと考えてみて、語れるようになりたいという思いを起点に何かを習得しようと思ったことがないなぁと思いました。

一問一答ならAIでもいいんですが、喋ってたり議論したりしてたら中身ない人は分かるし、と感じます。

強いて言えば、意中の方を口説くために語りたいと思うことはありますが、AIでは教えてくれないんですよね。「探る」ところからやらないといけないから、ビジネスにおいても、恋愛においても

思い起こすと、PCを初めて触った大学では最低限の講義を除きずっと高速回線のあるPC室に篭っておりPC室の主と呼ばれておりました

しかし当時その技術を活用できる職は、特に地方には皆無であったために書類で蹴られ、面接では鼻で笑われ、最終的に建設の現場職に就きましたがそれでも家ではずっと趣味の延長でPC触ってました

十数年後、偶然趣味の分野が脚光を浴びてエンジニア転向、業界大手へ・・・

ショートカットとは真逆の氷河期おじさんとして若手はこの規模の企業であってもやっぱりうすいなあと感じつつも自分の席を守るためにも表面的なところ以上は教える気ないし、若手側も深いところに興味はなさそうなのでwin-winですね

何においてもタイパを求める繰り返しだと思います。

その上でアウトプットして習熟度が上がると思います。


ネットが出始めた頃、本や雑誌から知識を得ていた人からすればネットを使う人はタイパ重視と思われていたかもしれませんが、今は普通のことですよね。

新しいものが出て時代が変われば、当たり前も変わると思います。

取っ掛かりが変わり、深めていく作業はずっと変わらずだと思います。

投稿者

当時のネットも、今で言うタイパ指向そのものだったでしょう。雑誌より早く効率的に情報を得られたという意味で。


でも大きな違いは、誰も専門家を目指していたわけでも、自称していたわけでもなかったこと。好きで続けてたら詳しくなって、周囲にそう見なされる。それだけのことで、ラベルを自分で取りに行く発想はなかったと思います。本稿の論点の比重はそこですね。

なるほど。

昔も何ちゃってな物知りいそうな感じはあります。

ネットに詳しくて何でも知ってるよ感出す人。

それが今はAIなど。

ってことにはなりませんかね?


周りに自称専門家がいないのであまりしっかりきてないかもしれません。

すみません。

物によりますけど、自分自身で何を専門とするか、何かの専門家であるというポジションを取らないと生き抜きにくい時代になったということはありませんか?

好きなことだけ突き詰めていても何とかなると思えなくなり、生きるための戦略としての専門性の喧伝だと思います。

投稿者

複雑な現代で専門性を示す戦略は分かりますが、積み重ね・重み・深みのないまま、名乗るだけで同じ価値は持ちえませんよね。そこには分けて考えるべき質の違いがあるかなと。

そうですね。名乗り始めた人が最終的に対象に対して偏愛を持つとか量質転換するとか、本質的な意味でのプロフェッショナルになればいいですが、みんながみんなそうではないのが現状ですね。

論点がずれるかもしれませんが、本人は良くても同じ肩書きの専門家の地位が不当に低く扱われることに繋がる懸念もありますよね。それをどうこうできる話ではありませんが…

投稿者

ふと思ったのですが、その新しいタイプの専門家(タイパ重視でキャッチアップして自ら名乗る)も、キュレーションや情報発信という側面に着目して評価するとして、従来の専門家と区別して扱うことが必要になってきているのでは、と。こうすれば従来の専門家の地位は保たれます(新しい専門家が従来ヅラしない限り)。

タイパっていう言葉に対して思うところはありますよね〜

ひとつ思うのは、タイパを重視し過ぎると仮説設定能力は鍛えられないなと。そこが鍛えられてる専門家やオタクって、何か問題が起きると、筋のいい打開策がポンポン出てくるイメージがありますけど、そういう引き出しってタイパ重視してると増えてかないですよね。

投稿者

確かに筋のいい打開策がポンポン出てくる人って、まさに仮説設定能力や構造理解が鍛えられてる証拠ですよね。それって結局、無数の失敗や試行錯誤を経てきた経験の蓄積があってこそだと思うので、タイパで効率よく履修するだけでは到達し得ない領域だと改めて感じます。


情報取得や知識化はAIでも代替できるけれど、状況に応じた仮説を立て、修正しながら前に進める力って、まさに専門家やオタクに求められる中核スキルですね。この視点、すごくしっくり来ました。

(編集済み)
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