最近、「◯◯オタクになりたい」「IT技術を身につけて語れるようになりたい」といった、専門性へのショートカット志向をよく見かける気がします。背景には、Z世代を中心に広がるタイパ重視の傾向があると感じます。
プレイリストで音楽を履修し、要約動画で映画を理解し、ChatGPTで用語を調べてエンジニア「風」の発言をする。一見、効率的で合理的。でも、本当にそれで「専門家」や「オタク」と呼ばれる水準に到達できるのでしょうか?
その道を何年も歩んできた人との対話の中で得た文脈理解、言葉の重みといった深みの違いは、どうしてもにじみ出ます。専門性とは知識・試行錯誤の蓄積、継続的な関与、他者からの信頼といった、帰納的・不可逆的な積み重ねによってしか成立しないものです。タイパを意識すること自体は悪ではありませんが、過程を飛ばして結果だけ得ようとする姿勢が、そもそも専門性に対して「純粋に矛盾」すると感じてしまいます。
あなたは、何かを“タイパ良く習得して語れるようになりたい”と思った経験がありますか?・・(!)