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読解力も能力というのを受け入れられない時がある

読解力や国語力を「当たり前のもの」と考えてしまう自分がいます。やめたいなと思いながらその呪いから逃れることができません。

どうやったら考えを変えられるんでしょうか。


官庁や企業が出してる長い文章を読むのが苦手な人や読めない人がいると、「なぜこれぐらい読めないんだろう?」と思ってしまうことがあります。


現代文も他の教科と一緒である程度できる人は一部で、苦手な人もいる、とは理解できます。ただ現代文の成績というのは受験には使われるものの、あまり評価されない種類の教科、できて当たり前と扱われてる教科の風潮があるように思います。


それゆえか、人間の能力は様々だから文章読むのが苦手な人もいると理解してるはずなのに、「こんな当たり前のことができないのか」と驚いてしまうのです。自分の読解力をすごいと思ったことがない&卑屈なので、できない人に対して「こんな私ですらできるのに大丈夫?」と思ってしまうのですがこれ傲慢すぎて良くないよな〜〜とモヤモヤします。

(編集済み)
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コメント一覧

ある特定の能力が低い人のことを見下す癖があるなら、自分も他の不得意な能力について見下されてる、って捉えればいいんじゃないでしょうか。


そもそも、思ってるだけならいいと思います。他人より高い能力を持ってる人がそれを自覚するのは仕方がないですし。


体力美術コミュ力なんであっても、人より高い人は低い人のことを理解しにくいんで、自分はその能力は高い、低い人もいる、少なくとも他人に不快に思われない言動をしよう、って話かなーと感じました。

英語や中国語でも同じことができるのが当たり前でしたら、まあ。

日本語も「日本語という言語スキル」と捉えて一般化する必要がありそうです。


とはいえ、むしろ投稿者さんに対してはこのトピックそのものより「どう自分のアンコンシャスバイアスを補正するか」という部分で改善した方がいいかなと感じるところがありました。

元プロ編集者です。


読解能力はれっきと能力ですし、プロの間では、売り物になる文章を書けるのは人類の5%というのが通説でした。


逆に、日本語の能力が低く見積もられすぎています。

いま、生成AIの指示と読解能力において、急激に言語能力の価値が見直されています。


なので、卑屈にならず、普通に、これは能力だな、と思えばいいのでは。


卑屈になる必要はないです。別に、そういう能力ですし、他の能力が高い人からは、なんでこんなこともできないの?と思われていると思います。


それが人類というものかと。

言語以外の人間として当たり前の能力でも同じこと言えますか?

身体能力やコミュニケーション力、字の綺麗さ、箸の持ち方など、日常生活に溶け込む毎日使用する能力でも得意不得意はあるように、読解力も同じかもしれないですね

親からの教育で授けられた後天的な能力をあたかも自分だけで取得したかのような傲慢さ

そのように思ってしまうのは、自己肯定感の低さが原因だという記事をどこかで読んだことがあります。

(こんな私でもできることなんだから、他の人はできて当たり前なのに、なぜこの人はできないんだろう?!と思ってしまう)


自己を受け入れるためのカウンセリングですかね

他の人を蔑まなければ、その考え方自体は問題ないと思いますよ。


もし蔑んでしまうときは、それらのスキルについて明文化して、判定基準を作成し、「しきい値」決めるといいと思います。


しきい値がなければただの個人の定性的な感想なので、むしろ他の人から見るとあなたがそうだと思われているかもと、自分を顧みることができます。


逆に明文化され基準化されたしきい値を作れるのであれば、それはスキル判定の一つの階段となるので、あなた自身がその階段を越えていけるような体系を作って、同じことができる人を量産すれば、そもそも蔑みの感情も起こらなくなります。


明文化できず、しきい値も作れず、定性評価のみの世界に閉じこもったときに、私も同じような自家中毒に陥ったことがあります。


ご参考程度に。

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