追いかけたい相手は逃げるかそもそも遠い
追いかけてくれる相手には気持ちを返せるとは限らない
追いかけない恋はつまらない
つまらない恋は続けるのが難しい
チラ裏ポイっ
追いかけたい相手は逃げるかそもそも遠い
追いかけてくれる相手には気持ちを返せるとは限らない
追いかけない恋はつまらない
つまらない恋は続けるのが難しい
チラ裏ポイっ
若そう
やじゃやじゃやーじゃ。ワシとしとるのやーじゃ。
恋ではなく、愛をもとめられるようになるといいですね。ふ。
どっちもはなんであかんの。肉体的な恋と打算的な愛。
言葉で整理しようとしている時点で、君はまだ愛を知らない。愛を知った時君は気づくだろう、これが愛なんだと。
老師、敢問。愛也、妥協乎、抑不妥協乎?
(先生、教えてください。愛とは、妥協なのですか?)
エーリッヒ・フロムによると愛とは、「相手の目から覗いた世界に共感し、自由な意思に基づいて、対象の意思を尊重しつつ、対象の命・成長・幸せに配慮し続ける行動」のことのようです。
これは、執着という自己愛とは別という話ですね。ディズニーの「美女と野獣」が好きですが、この辺りがテーマでした。
私はこれで頭の整理ができましたので、参考になれば。
ありがとうございます。
私もその考えは知っています。
私は「自分を追いかけてくる人」(=以前付き合ってた人)には確実にその定義では愛されていたのですが、私はそれを相手にできなかった。「自分が追いかけている人」に関しては逆に自分はそれをしていましたが相手が自分にそれをしてくれませんでしたね。
確かに、難しいですね。
たぶん上に書いたヒューマニズム的な愛がある一方、生物学的に強烈に惹かれる恋愛もあって、現実ではそれがグラデーションなんですよね。
惹かれることに嘘はつけないので、なるべく嘘はつかずに、ただ現実と折り合いはつけていく、やはり難しい問題ですね。
本当にそう。
肉体的な愛もヒューマニズム的な愛もお互い感じられる恋ってなかなかできないんですかね。
自分自身がすごく美しければできるかもしれませんが...私は身体的に全然美しくないので泣
そんなことないですよ。
肉体的な方は、男女共に進化生物学的な環境依存が大きいので。要はその環境で異性の選択肢が少なかったり、ただ単にその個体がモテていたり(小学生男子なら身体評価が主なので、顔はほぼ関係なく足が速いだけでモテる)で、その個体自体の基礎的なスペックはあまり考慮されないこともあると思います。
これをハックするのは再現性があり、私は再現しました。
ただ、私はある程度までいくとむなしくなっていきました。相対評価しかない地獄への道でした。方法を実践していくのが主で、そこで私の目的は疎外感の克服なのだとやっと気付きました。
そこからはヒューマニズム的な愛が少しずつ理解できるようになっていきました。年齢を重ねたのもありますけど。
その後は、きれいごとですが、比較的どちらも満たされたパートナーと一緒にいれるようになりました。結局肉体的なカッコよさや美しさは再現できるので、その人を育てる観点さえあれば、お互いの努力で再現できます。もちろん、最初の話に戻って、その人の意思を尊重する必要がありますが。
みんなむずかしくかんがえすぎだよ
あ~いあい
ぁーぃぁぃ
あ~いあい
ぁーぃぁぃ
あ~いあい
ぁーぃぁぃ
おさーぁるさ〜んだよ〜~