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皆さんの死生観と子ども

皆さんの死生観と子どもについての考えはどんな感じですか?


このテンプレに沿って答えてほしいです。


子どもの有無:いないが欲しい。

死生観と子ども:この世は魂を陶冶する場所であり、人生は苦痛にも満ちている。しかしそれは神が定めた運命であり、人間がそれに責任を取ることはできない。私にできるのは私に縁があるかもしれない魂が苦労しないよう、そして正しい道に行くことができるようにリソースを提供し、導くことだけである。


↑こんなこと言ってますが、縁があったら死生観自体は変わらなくとも、少し向き合い方は変わるかもしれません。

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コメント

コメント一覧

子どもの有無:有

死生観と子ども:この世は数ある物理現象の積み重ねの上にあるものであり、魂や神は存在しない。故に苦痛もあれば喜びもある。自分にできることはこの世界を後悔なく生きることのみ。

子どもの有無:有

死生観と子ども:たまたま生まれ意識を持ち考えることができてハッピー😀いろんなことを知り、次世代を育てることを楽しみ、思い出と共に灰になる

「死生観と子ども」という質問を正しく理解出来てないかもしれませんが、回答してみます。


子どもの有無:二人

死生観と子ども:

魂やあの世やこの世、天国や地獄などの考え方は、倫理観を共有するための共通言語として便利に使うだけで、魂や死後の世界の存在などには興味もないです。

ペットの犬が亡くなって悲しんでる娘を慰めるために、天国やお星さまは使いました。カブトムシが亡くなった時は土に埋めた後、土の栄養になるという説明をしました。

子どもの有無:無しだが欲しい。

死生観と子ども:生命は遺伝子の乗り物に過ぎず、子どもはほぼ唯一遺伝子を残す方法。そのために生まれ、そのために死ぬ。

子どもの有無:おらず、産むかも迷う

死生観と子ども:死後の世界は死んでみないとわからない。よって考えても仕方がない。

自分には障害を持った血の繋がりのある兄弟がおり、その遺伝性が強いと言われているため、自分が子どもを産むことにはためらいがある。人間は人間として生まれた以上人間の中で生きる必要があり、その中に適応できるか否かは子ども個々人の素養と時代のかけ合わせに大きく依存するものである。自分から生まれ落ちる子ども側の素養を考えると、この時代に産むことによって子どもが受ける禍福の量を考えてしまう。

子どもの有無:無。育ててくれた両親には申し訳ないが、特にほしいとは思わない。

死生観と子ども:自分としては遺伝子を残すことにあまり特別な意味を感じていない。生まれたことの意味を追求しても仕方がないと思っている一方、死ですべてが無になってしまうのは怖い。なるべく健康でい続けて、後悔のないように自己実現を図りたい。


なんか客観的にみると病んでいる人のようですが、日々は割と楽しく過ごしています。まあ私も家族や親族に遺伝性の障害があり、本人達や周囲が相当に苦労してきたのを見てきたため、そのあたりの経験が影響しているかもしれません。これまでの人生において「辛かったけどどうしようもなかったこと」の多くは家族絡みでした。

(編集済み)

子どもの有無:有

死生観と子ども:子供が2-3歳くらいの頃から自分はあと60年くらいしたら死ぬからな、という話をよくしていて、その度に子供に泣かれていました😅

死については個人的にはただ無に帰るということだと思っていますが、子供に対しては死んだひいじいちゃんが天国にいるという話であったり、自分が死んだあとの未来の世界の話を、子供が死んだあとに天国に来て聞かせてくれ、みたいな話をしています。

人が生きている理由は別にないと思っていて、ただ生まれてきたから生きている、みたいな感じですかね。

他人が生きる理由は人それぞれで良いと思うのですが、自分が生きている理由はまだやりたいことがあるからですかね。ちょっと鬱っぽくなって、やりたいことも特になかった頃は、自分は何のために生きているんだろう、別にいつ死んでもいいなー、みたいなことはよく思っていました。

(編集済み)

子供の有無:いないし作りたくない。養子なら...と考えなくはないがそれも取らないだろう。

死生観と子供:人は精神的な苦痛を感じる。存在しなければ苦痛を感じることはなく、存在しないままでいることも存在しない本人にとっては苦痛ではない。論理はないが、私はいかなる苦痛をも嫌っていて、ない方がいいと思っているので、子供を作ることはない。

死んだら脳がなくなるので、そこで何も感じなくなるし考えなくなる。それでも苦痛なく死にたいと思っていて、これには自分が納得できる理由がありそうなのだが曖昧で言葉にできない。

暇はそれはそれで苦痛なので、できるだけ苦痛を取り除きつつ暇すぎない生活を今は目指している。

子供の有無: 有


死生観と子供: そもそも人間の生命に意味や意義なんてものは無く、死ねばただ肉塊になるだけである。ただ、この世に何も残せなかったり、後悔の残る人生だった場合、自分が死ぬ瞬間にマイナスな気持ちで死ぬことになりそうなので、それは避けたい。出来るだけハッピーな気持ちで死ねるよう、後世に残る仕事をしたり、自分が幸福を感じることをやってから死にたい。子供は自分が後世に残せるものであり、幸福を感じる対象でもある。

子供の有無: 有り


生死感と子供: この世は機会を試す場所。生物として繰り返される生命の繋がりの中で偶然産まれてきたからには幸せになろうと努力しており、自分だけではなく、社会にも何かしら還元したいと考えてる。一方、自分の育った右肩上がりの昭和と異なり、環境問題など新たな課題を抱える社会に子供をもうける責任は持てない、と思っていたものの、うっかり産み育てた。生物の性欲はこうやって子孫を残すようプログラムされてるのだと捉えている。ちなみに古から共通する、暴走し問題の根源となるのも性欲。今だにこの存在はなんだろうと考える。

子どもの有無:有

死生観と子ども: 生きることに本質的な意味はないが、進んで意味を与えるなら、自分の人生はこの宇宙に貢献すること。宇宙と言ったが宇宙、神、自分の意識の中心はどれも同じものと見なす。貢献度を最大化するために健康を維持してスキルアップをし子供も作ってみた。特に達成完了とかノルマはないので、いつ来るかわからない死の瞬間までただただ宇宙への貢献を続ける。

投稿者

皆さん、ありがとうございます。死生観と子孫については価値観が関わってくる部分だからこそリアルでは聞けないものの、他の人はどう考えてるんだろうなーと気になっていた部分だったので、非常に興味深いです!!

(編集済み)

子どもの有無:あり


死生観と子ども:子どもが生まれてから、自分の死生観が大きく変わりました。


以前は「今」を中心に考えていましたが、子どもが成人した後の未来、さらにその先の世界について考えることが増えました。


自分がいなくなった後も、この子が生きていく世界がより良いものになってほしい。そんな想いから、日々の選択も変わってきた気がします。


親になって初めて、時間軸が自分の人生を超えて広がった感覚です。

(編集済み)
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